映画狂人にはなれない

『インディア・ソング』についての短いノート

【以下は口頭で発表した原稿を短縮し手直したもの】

 

0.忘却と映画批評 

 映画について語るということは、常に忘却との格闘にほかならない。本来、映画館という装置で上映される映画は、フィルムのもつ物質的な特性――つまり巻き戻せるということだ――とは反して、不可逆性を伴った現象にほかならないからだ。こうした映画の不可逆性は、映画館が閉鎖された社会状況では忘れ始められているかもしれない。 

 映画は誕生以来、この不可逆性や忘却――見逃すこと、聞き逃すこと、見間違えること、 忘れてしまうことなど――に対し、非常に意識的な芸術形式であったマルグリット・デュラスもまた、そうしたことに意識的な映画監督の一人である。しかし、だとするならば、 映画批評、映画研究というものは、書き手の記憶していることを提示するのだから、映画の本質と矛盾を抱いていることになる。映画は忘却に重きを置いているというのに、批評はある種傲慢な「記憶していることを語る」という形式であり続けているからだ。 

 それでもまだ、映画研究が映画に対して一つの役目を担えるとするならば、それは研究が観客も映画そのものも歴史的に忘却してきたものを一つでも暴き出すときだろう。したがって、ここでは、映画が30年間もの間、忘却し続けた「声」の表象についての考察を行う。 

 

1.声の表象と映画史 

 映像はなんでも映せるのだという楽観的な考えは、強制収容所ショアをクロード・ランズマンが映画に収めた時から一変する。世の中には言葉では言い尽くせない、映像に収めることもできない「表象不可能なもの」が存在するという説が、一時期の哲学では頻繁に唱えられ、あるいはそれに対する反論が出るなど、映画と表象というテーマにはいまだに決着がつかない議論が存在する。 

 デュラスとゴダールの有名な論争から続くこの議論は、現代フランスの美術史家、ディディ=ユベルマンにまで波及しているが、彼を含む全員が(ディディ=ユベルマンのキーワードは「類似のモンタージュ」である)、強制収容所や戦争を「映像に収めることは可能か」 という点に限られている。 

 これは非常に奇妙なことだ。なぜ誰もが「音声を収めることは可能か」という問いは無視するのだろうか

 声と物語というと、アリストテレス詩学』における「話し言葉 parole」の優位が思い起こされる。最初期の文学論(演劇論)では、いわば声が重視されていたというのに、現代的な芸術の一形態である映画における声が軽視されているのもまた奇妙なことだ。

 演劇がアリストテレス的体制で、「声、話される言葉の優位」にあったのだとしたら、文学という書き言葉の芸術形式は、「書き言葉の優位」にあったということができそうに思える。しかし、文学は「話される言葉」を下位には置いていない。文学がいかにして声の表象の開発に力を注いだかは、自由間接話法やモーリス・ブランショのいう「語りの声」のことを思い出せばわかるだろう。そして、文学が開発した声の表象がどちらも、出処を特定出来ぬ感覚をもたらすものであるということは、特筆すべきだろう。 

 一方で、映画における音声は、まずサイレント時代の映画では音声がないにもかかわらず、音を感じさせるようなイメージの創出がなされた。フリッツ・ラングサイレント映画のイメージに、音を感じさせることに成功している監督の一人だ(『メトロポリス』)。ところが、トーキーが開発されると、音声はイメージを説明するための補足的な要素になる。声は人物のイメージに従属し、物音もすべては物語を補足説明するためである。 もちろん。こうした視覚イメージに従属しない音声を開発した者として、ゴダール(『はなればなれに』)、小津(『お早よう』)、ジャック・タチなどの名をあげておく必要はあるだろう。

 

 

2.『インディア・ソング』の声 

 こうした文学と映画における声の表象の歴史を踏まえたうえで、『インディア・ソングを見てみると、いかに「映画が文学の後に来る」のかが分かるだろう。 まず指摘したいことは、デュラスの映画における台詞は自由間接話法的であるという点だ。トーキーの出現以来、映画は発話主体のイメージと音声を結合することで直接話法的なものを作ることを志すようになるが、発話主体の像と再び声を分離することで、自由間接話法的な出所の分からぬ声の表象が可能になる。『インディア・ソング』では、スクリーンに映る人物たちの口唇は動かぬままに男女複数の声がある愛の物語を語るという形式ゆえに、自由間接話法の映画であるということができるだろう。 

 実際、こうした声の浮遊感、根源の不在の感覚が、作家による意識的な操作によるものあることを裏付ける発言として次のようなものがある。 

 私は、俳優の「無人化」ということさえ語ったことがある。それに、『インディア・ソング』には、全体にわたる無人化があると思う。誰ひとりとしてその場には、わたしがそのひとを置いたところにはいない。どのひとにも、「よそへ行っている」とい ったところがつねにあるのです。それがこの映画の大きな広がりだ。

Marguerite Duras, La couleur des mots, Édition Critique, 2001, p. 81.

 

 また、『インディア・ソング』には冒頭の女乞食の叫び声を始めとして、幾度かの叫び声が出てくるが、ハリウッド映画の隆盛により、「叫び声」はもはや物語内容の説明の為ですらない、映画史におけるクリシェ通俗的意味を担わされてきた。女の叫び声は恐怖やセクシャルなものと結びつき(『サイコ』)、男の叫び声は自らのテリトリーを誇示するように、自らの力を誇示するものとなる(『ターザン』)。 

 しかし、映画における音響の研究者、ミシェル・シオンが「おそらく、ただ一人、何事にも動じないマルグリット・デュラスだけが、男にターザンのとも野獣のとも魔法使いのとも異なった叫びをさせている。つまり、『インディア・ソング』と『ヴェネチア時代の彼女の名前』の叫びだ」と指摘するように、デュラスの映画における女の叫び声は以上のようなクリシェに回収されず、男の叫び声も脱領土化されている。 

 また、付け加えておきたいのは、アリストテレスは『命題論』の中で感嘆文を含む叫びの 形式を持つものをあらゆる論理の枠組みに収まらぬものとして排除しているということだ。

 

 

3.オンライン社会とデュラスの映画 

 まとめると、デュラスの映画は出所の分からない声を映画に積極的に用いることで、映画に革新性をもたらした。それは声を性的役割から解放し、「物語補足説明のための音声」といった音声下位な世界観を覆すことに貢献したと言えるだろう。 

 しかし私たちは直感的に、声と身体、あるいは場所というものを非常に強く結び付けて認識している。そして、声と身体、あるいは場所が第三者によって分離させられると、自己同一性を奪われたように感じるものだ。これこそまさに、ヴァーチャルなインターネット空間でオンライン授業を受けたりオンライン会議をする際に、私たちが抱く違和感の原因ではないだろうか。 

 こうした身体と声の分離については、デュラスのみならず、ゴダール(『アルファヴィル』)、 キューブリック(『2001年宇宙の旅』)、ファスビンダー(『シナのルーレット』)などが電子音やテクノミュージックを用いて表現してきたことである。 

 映画がいとも軽率に身体や物語に従属させた音声という信仰が崩れ始めたオンライン時代の現代は、まさにデュラスの映画が見られるべき時代ではないのだろうか。

 

カメラと倫理

 

 セルジュ・ダネーの批評を集中的に読んでから、映画を見るときに「倫理」という言葉が頭をよぎるようになった。ダネーは『不屈の精神』という自伝的な書物の中で、『ゼロ地帯』という映画(これは最近ついに日本でもソフト化された)のトラヴェリングショットを倫理的に正しくないと批判していた。強制収容所を舞台としたその映画には、エマニュエル・リヴァ演ずる女が有刺鉄線に身を投じて死ぬ場面が存在する。その場面で有刺鉄線へ身を投じる彼女を引きのショットで映した後に、息を引き取り地面に倒れた彼女の指先までカメラはそのままトラベリング移動をする。この必然性のないカメラ移動を、ダネーは《倫理的でない》ということで非難した。

 こうした《倫理的でない》撮影手法に対するものとして、『雨月物語』の田中絹代が殺されるシーンを、すなわち彼女の殺害を思わず視界から逸らそうとするようなパンをダネーは例としてあげている。こうしたダネーの倫理観の根底にあったのは、『La rampe』〔未邦訳:『フットライト』〕の冒頭を読むと分かるように、ギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』だった。(もちろんダネー自らが公言するジャック・リヴェットの批評の影響も無視できない。)現代の多くの映画は、イメージをモンタージュして直線的な物語に回収させ、観客の窃視願望的な欲望を満たすためにセンセーショナルな映像作りを行っている。

 

 こうした「スペクタクル的な映画に対抗する映画」を意識的に作ろうと心掛けてきた者たちが多く存在するのが、ドキュメンタリー映画というジャンルなのだと思う。あらゆる映像は――カメラが視点という位置に存在するのだから――イデオロギーを拭払することが不可能であり、ドキュメンタリーというしばしば社会の不正の告発にも用いられる映画のジャンルがこうした映像の特性に注意深くなったのは、自らのためにも必然的であったのだろう。

 そんなドキュメンタリー映画の中にも、監督自らが「観察映画」と名付ける特異なジャンルに属する映画が存在する。想田和弘の映画がそうだ。先日見た同監督の『港町』という映画は、「スペクタクル的な映画に対抗する映画」であり、極めて《倫理的な》撮影がなされているのではないかという印象を抱いた。

 映画の舞台は前作『牡蠣工場』と同じ岡山県瀬戸内市牛窓という後期高齢者が大半を占める決して大きくはない町だ。ここで生活を営む人々の日常がカメラに収められていく。活魚と死魚の莫大な市場取引価格の差を船上で語る漁師。嫁いで来てから30年近く魚屋の店子として働き続け、今なお、軽トラックで魚を一軒一軒へと配達する女性。町に住みついた野良猫たちに魚屋から引き取ったアラで作ったねこまんまを与える男女。彼らを収めたモノクロの詩的な映像を見ながら何よりもまず思うのは、労働とは手によって為されるものであったということだ。無論、21世紀現代が舞台なのだから、漁は漁船を用いるし、魚の値付けも電子秤で一瞬でなされていく。しかし、フィルムに収められているのは、なによりもまず、漁に用いる細かな網のほつれをほどく手であり、包丁一つで魚を瞬時に捌く手の動きであり、マニュアル車のギアを動かす「後期高齢者」を自称する女性の手の動きである。都会で生活する者にとっては驚きを感じずにはいられない、複雑で細やかな手の動きをこの映画の中で目にすると、我々は人間と労働の持つ潜在性に心を打たれる。この映画は彼らの手の動きを観察するためだけにも意味深いと言いたくなるし、そうした手を撮影したということが《倫理》なのではないかと言いたくなる。

 だが、台本もなく、劇的な展開も生じずに時間が経過してゆくこの映画は、終盤で突如、大抵の映画監督ならば《劇的なシーン》へと変換するであろう出来事を目前にする。ラスト30分ほどのところで、カメラは海沿いの道路で二人の高齢女性と出会う。そのうちの一人の方は非常に気さくにカメラの前で町について語る。余りに何もかもを語ってしまう。連れの女性の家族関係や病気のことといった他者のプライバシーまで語ってしまう。

 おそらく並みのドキュメンタリー監督であれば、こうしたシーンを撮影した後では、次は連れの女性本人の言葉を聞き出そうと努めるだろう。だが、台本を用意せず、環境に身を任せる「観察映画」ではそうはいかない。おしゃべりの女性――彼女はクミさんと言うのだが――は、近くの坂を上ったところに病院があることを監督に幾度も伝え、今度見に行ってみると告げる監督に対し、今行こうと何度も返す。結局、映画はクミさんに舵を取られ、坂道を上り病院を見に行くことになる。

 もちろん、この観察映画が連れの女性の声を聴くことを放棄したわけではなくて、クミさんが身の上話を続ける間、クミさんの後ろを歩く連れの女性の話に耳を傾けている監督の配偶者の姿もしっかりとフィルムに焼き付けられている。だが、あまりにクミさんが話を続けるために、映画は完全に起承転結を作ることができなくなっている。

 映画を牛耳るクミさんの言葉は、説明というよりもおしゃべりという語が似合うような、構造化されていない(起承転結がはっきりしない)言語でできている。話はあっちへいったりこっちへいったりする。そんな彼女が、自らが「捨て子」(クミさんの言葉だ)であったことや障害を持った息子との隔離といったような自らの過去を、構造化されていない言語で語り始めるとき、その物語はまたしても《劇的なもの》へと変わりうる可能性を示してくる。おせっかいで陽気なクミさんの口から突如飛び出る衝撃的で重苦しい話は、カタルシスになりうるはずだ。たとえば、クミさんの顔にカメラを向け続けるのはどうだろう。おそらくそれは彼女にとって拷問のような行為であり、自らの告白のつらさとも相まって、彼女は涙をこぼすかもしれない。

 だが、ここでのカメラの動きは落ち着きがない。クミさんが話す間のカメラは、周囲の風景を映したり、彼女の手元を映したり、彼女が作っている魚のみりん干しへ向いたりと、クミさんの顔に留まることが出来ずにいる。鑑賞者はクミさんがどんな表情でこの話をしているのか、伺うことが出来るようでありながら、完全には知ることは出来ずにいることになる。だが、人の心とはそうした不可視なものでないだろうか。こうしてカメラが揺れ動くとき、それは『雨月物語』のパンのごとく、極めて《倫理的》な操作だと言いたくなる。

 カメラが全能であることを辞め、おしゃべりのようなスペクタクルとは程遠い言葉に耳を傾ける映画『港町』を、もしダネーが現代まで生き延びて見たとしたら、『ゼロ地帯』ではなく『雨月物語』の方のカテゴリーに入れただろうか。私はきっと、入れるのだと思っている。

 

 

 

 

記憶の甘美/甘美なる記憶

 

レネのこの映画の不思議な球体は、最も美しい結晶イメージの一つであり、結晶の中に見えるのは時間それ自体、時間のほとばしりなのだ。

ジル・ドゥルーズ『シネマ2』

 

 ドゥルーズの『シネマ』を読むために、わざわざ言及される映画をすべて見ておく必要などまったくないのだけれども、一応、書籍を理解するうえで鍵となる映画が最低限幾つかある。(そもそもドゥルーズはちゃんと映画を見ないで『シネマ』を書いているだろうけれど。)例えば、『無防備都市』だとか『市民ケーン』だとか『晩春』だとかがそうした最低限の映画に入るのだろうけれど、アラン・レネの『ジュテーム・ジュテーム』も第二巻で幾度も言及されるため、このリストに加えてよい気がする。

 とはいえ、この映画は日本でソフト化されておらず、日本で公開されたのも英語字幕で2004年の日仏会館での上映限りなようなので見た人はそんなに多くないのだろう。(なお日仏会館での上映はドミニク・パイーニ選で『そして僕は恋をする』との組み合わせだったようだ。最高の組み合わせ!)

 

 映画の内容は、まったくもって「世界の全ての記憶」、『二十四時間の情事』、『去年マリエンバートで』以来の「いつも通りのアラン・レネ」といった感じだ。

 自殺未遂をした主人公の男リデールが、「クレスペル」という地図で特定することが不可能な場所――レネの中期の映画いつもは《ヘテロトピア》(©フーコー)とでも呼びたくなるような場所が舞台だ――にある研究所へ連れ去られ、タイムマシンの実験の被験者になることを求められる。この世に思い残すこともないリデールは承諾し、マウスでしか成功したことのない実験装置での時間旅行へ参加する。研究所のメンバーたちによれば、1年前に戻ったあと、その後4分間装置の中でじっとしていれば、現在(1967年)へと戻ることが出来るらしい。そうして、いざ時間旅行を開始したリデールは、かつて7年間交際をした恋人カトリーヌとの1年前(1966年9月)のバカンスの記憶へと飛ばされる。だが、海水浴から戻るリデールへ浜辺に横たわるカトリーヌが「(海は)よかった?」と尋ねるこの幸福な記憶でタイムスリップは留まらず、次々と細切れに、時系列もバラバラに、二人の出会いからの様々な記憶が流れ出るのを止めれなくなる。研究員は皆、実験の失敗に慌てるが、もうなす術はない。二人の職場での出会い、二人の旅路でリデールが語ってみせる戦争の記憶――レネの映画においては戦争の記憶痕跡は常に一つの重大なモチーフだ――、中華料理屋での逢瀬、ベッドでの倦怠期を匂わせる猫についての会話、リデールの浮気。

 こうしたすべての出来事は少しずつ、細部を変奏させながらも反復され、ついにはリデールは「自分がカトリーヌを殺した」と周囲に吹聴した時代の記憶へ飛び立つ。リデールは、ガス栓を閉めぬまま眠ってしまったカトリーヌの姿を部屋で見ておきながらも、放置することによって見殺しにしたのだと主張する。だが、次々と細部に差異を孕みながら反復する記憶を前に、リデールも、そして私たちも、リデールが殺人を犯したのかどうかを知ることもできない。

 実験開始から一日が経過し、とうとう、研究員たちはリデールを装置から救出することに成功する。だが、リデールは見るからに衰弱しきっており、この先助かるのか不明のまま映画は幕を閉じる。

 

 この映画においてもまた、不確かな記憶と戦争のトラウマの主題を中心として、亡霊のような女との不確かな愛の記憶が語られる。女は感情の起伏を露わにせず、ときおり奇妙なフランス語を用いるために(男は「そんな言い方はしないよ」とその度に訂正する)、やはり『マリエンバート』のヒロインのごとく亡霊的=レネ的だ。さらには、男の強迫観念にも似た女との運命的邂逅を信じる台詞(「僕は君が好きだ。会う前から君を好きになっている気がする。」)もまた極めてレネ的だ。

 こうしたレネ的な映画を前にして、断片的で矛盾に満ちた記憶を解きほぐし、クロノロジックかつ整合性を持つような一つの直線的記憶に並び替えたいという欲望を鑑賞者が持ってしまうとしたら、その欲望を理解しつつも、それは、レネの映画の美しさを損なわせてしまうのではないかと言いたくなる。

 確かに、僕も初めて『去年マリエンバートで』を見たときには、女のドレスの色や形を手掛かりに、シナリオを片手に何度もDVDを一時停止してはメモを取り、直線的な物語を作り出そうと試みたことがある。だが、レネの映画体験においてもっとも甘美なのは、記憶の不確かさや愛の不確かさを前に酩酊感を味わうことであり、決して論理的思考を働かせることではないように思うのだ。

 アラン・レネの映画において、愛は常に終焉の予告を含みながら登場し、そこから湧き出す憂鬱感ほど私たちを魅了するものはない。たとえば、本作においても、カトリーヌが不在のリデールへと電話をかけるシーン。海辺のホテルの窓際で受話器を耳に当てているリデールの映像と共にオフ・ボイスで流れるカトリーヌの「それから、あなた……。あなたがいないと寂しいわ」という声の、愛の言葉であるはずにもかかわらず機械的な単調さと、そこから生まれる倦怠感の美しさ。

 

 

 ところで、『ジュテーム・ジュテーム』の予告編をYouTubeで確認すると、『エターナル・サンシャイン』との類似を指摘する者がコメント欄に多々見られるが、クライテリオン社のツイッターでも指摘されているし、影響関係はあるのだろう。

 以上のように書きつけているところで、真横のラジオから流れてきた曲に歌詞も含めてどうもアラン・レネ的なアンニュイ感を感じ取り、調べてみるとPUMA BLUEという人の「Midnight Blue」という曲だそうだ(曲名にYouTubeリンク)。このアーテイストのインタビューを読むと、自らの十代を定義する曲として「Everybody's Gotta Learn Sometimes」(ベック)をあげているのだが、それもそのはず、お気に入りの映画が『エターナル・サンシャイン』だかららしい(ベックのこの曲が映画挿入歌)。

 

西東京書店のオジジ

 

 ここ最近ずっと行っていない古本屋があって、そこのお店と店主の近況が気になっている。最近のおしゃれな古本屋さんはツイッターをやっていることも多いし、その古本屋だって十分におしゃれではあるけれど、高齢の男性一人でやっているからかSNSはやっていない。だから直接足を運ぶことでしか、お店がどうなっているのかは分からない。

 僕が買う本を選んで店主のおじいさんのところへ持って行くと、選んだ本についてコメントをくれた。「おお、こんないい本をよく見つけたね」「この人〔著者〕は面白いよねえ」「君みたいな若い人がこれを読むのか」「よく勉強しているね」なんて言われたときは、はあ…と間抜けな顔をしながらも本当は認められた気がしてすごく嬉しかった。何度か行くうちに、複数冊買うと必ず値引きをしてくれるようになった。時には、タダで本を譲ってくれたこともあった。

 最近の古本業界はインターネットを駆使して価格相場をしっかりと見ているから、稀少本・限定本に限らず、絶版本は定価以上がつけられていることが多い。少し前までは、ブックオフでは学術書、文学、芸術関係に疎いから、絶版本をお得に買えることも多かったけれど、今ではブックオフですら定価以上で販売されていることがほとんどだ。それでも、その古本屋は絶対に定価以上をつけていなかった。それに、古本屋では本の最終ページに鉛筆で薄く価格が書き込まれていることが多いけれど、このおじいさんは絶対に本に書き込みをしなかった。ポストイットのような小さな紙に値段を書いて挟み込んでいた。

 この古本屋は恋人が当時住んでいた部屋と彼女の大学の間にあった。彼女は大学を辞めようかと思い始め、僕も自分の大学にはほとんど行かないで、西東京の駅からは徒歩20分以上も遠い部屋で、彼女の大学図書館のカードを使って二人で映画や本を借りてそれをひたすら見て読んで時間を潰した。

 だいたい僕が炊事担当だったから、これまた徒歩15分以上はあるスーパーまで歩いて食材を買いに行き、その帰りに古本屋に寄っていた。彼女もたまにその古本屋を使っていた。僕はアルバイトも辞めた時期だったからお金もなかったけれど、おじいさんがいつも安く本を譲ってくれるおかげでなんとかなった。

 そんなおじいさんが、一冊だけ値切ってくれなかった本がある。これは彼女に聞いた話だ。その本は基本文献ではあるもののたしかに絶版本で、独特の装丁がなされた本だ。おそらく読書家の年長者にとってはこの本を読んだことがあるというのは当たり前であるし、歴史的価値も定まっていて、よく論文で引用されたりもする。同著者の別の本はいまでも新刊書店で文庫で手に入る。それなのに絶版なのだ。きっと僕みたいにこの本を自分の手元に置いてみたいと願う若者は少なくないと思う。

 ある日、彼女がただ「不思議な装丁の本だな」と思って、勘定台へ持って行くと、いつもは書物の蘊蓄を話したりしながら、「〇〇円でいいよ」と値切ってくれるおじいさんが、そっと「この本はいい本だからなあ」と言ったのだという。

 僕はこの話が好きで、何度もこの話をしてもらっているが、初めてこの話を耳にしたのは、お金のなかった僕が「今度来た時には買おう…」と何度もウジウジしているうちに売り切れてしまい、「あの本売り切れちゃってさ」と僕が作った夕飯を二人で食べながら話したら、「ああ、それ私が買ったのよ」と本棚から取り出して見せてくれたときのことだ。

 

さようなら、三島

 

 『裁かるゝジャンヌ』のあのドライヤーの映画の中に『ミカエル』という同性愛の主題を扱った作品がある。孤独な老芸術家と美青年ミカエルのカップルに公爵夫人やって来て…というよくある三角関係ものなのだが、蓮實をはじめとして皆が褒めちぎる中、僕はいまいち乗れずにいる。耽美的な男色映画に対してこれを言うのは間違っているのは承知で言うと、あまりに男二人の関係が精神的なものに留まっていて、物足りなさを感じてしまうのだ。

 『ポーの一族』よりも『風と木の詩』を好んでいるのも結局それゆえであり、精神的な関係性よりも、肉体的な(それどころか『風木』のごとく相手に手が出るような)関係にこそ惹かれてしまう。だが、こうした性器結合主義的とも思われるような振る舞いを公に称揚することはなかなか危険なのかもしれない。というのも、近年、世間のクリーン化が進んでいるのか、性器中心主義的なものを称揚することは非難の対象になりつつあるようにも思えてくるからだ。

 ところで、『ミカエル』の老芸術家と美青年のカップリングは、まさに三島由紀夫の『禁色』と同じである。そこで久々に読み直そうと思って本棚を眺めてみるものの、雑多な本が様々な向きで差し込まれ、積み重ねられた我が家の棚からは見つけることができなかったので、仕方なく本屋で改めて買い直して読んでゆく。(実は新版の巻末エッセイに自分はほんの少しだけ登場しているのだが、エッセイの元ネタ=現実での出来事を知っている者からすると、このエッセイにおける現実の脚色、改変に執筆者恐るべし…と思ってしまう。)

 高校生の頃、半ボケの国語教師が「おめーら、『潮騒』を読め、いいからみんな読め」とばかり言うものだから、素直に手に取ったものの、『潮騒』にはまったくハマれず、その後に読んだ『仮面の告白』に衝撃を受けて以来三島ファンだと思ってきた。ちなみに半ばボケかけたこの老爺は――と言っても公立高校なのだから確実に65歳を上回るはずもないのだが――ほかにも『外科室』だとか『細雪』だとか『伊豆の踊り子』だとかを教えてくれ、僕はせっせと順に読もうと試みたのだが(『細雪』は高校時代には読み切れなかった)、今考えてみると単にこれは吉永小百合出演で映画化された小説をあげていただけである!単なる吉永小百合ファンのジジイだったのだ。

 一応好きな作家を聞かれたら三島由紀夫をあげてきた自分が、久しぶりに『禁色』を読んでみるとこれがことごとく興醒めである。それならばと、ほかに好きだった「雨のなかの噴水」だとか「親切な機械」だとか『春の雪』も読んでみるもののまったく良いと思えない! なんということだ。

 痛々しいことを承知で言うと、上にあげたような三島の小説の男たちに、高校時代の自分は完全に自己投影をしてきたのだが、三島の小説の男たちというのは実に単純で、こんな単純なものに自分は感化されていたのか…と、まったくもって自分の未熟さに悲しくなる。

 《なぜなら自分は、聡子を少しも愛していないから》《人間のなかの人間、男のなかの男にだけ、口にすることをゆるされている秘符のような言葉。すなわち、「別れよう!」》悲しいことに全然良いと思えない。

 三島作品の男たちに自己投影をしなくなったのも成長のように感じつつも、まるで自分の心の中の息子がどこかへ旅立ってしまったかのようでどこか少し悲しい。

 

ポストモダン、いまさら?

 

 学部のときに通っていた大学は良くも悪くも現代思想病みたいなものが蔓延していた。大学の前のシャノアール(ここは喫煙可なのがすごい良かったが今はない)でも、個人経営の喫茶店でも、どこに行っても絶対にドゥルーズデリダラカンという固有名が背後から聞こえてきたし、みんな『意味の論理学』や『アンチ・オイディプス』や『精神分析の四基本概念』を読んでいた(本当に読めているのかは別として)。そして映画といえばヌーヴェル・ヴァーグだった。名画座ロメールだとかゴダールがかかれば大喜びだし、いつでも誰かしらの家で『去年マリエンバートで』の上映会が行われていた。どいつもこいつも『日本近代文学の起源』、『探究』、『夏目漱石論』を鞄に忍び込ませていたと思う。

 大学院から通っている今の大学では、そうした現代思想かぶれの学生に出会うことがめったにない。もちろん、前の大学にも「かぶれて」いない奴はいたのだけれど、そうした奴は大体ひねくれ者で、みんなとは違ってポストモダンを妄信しないという意識的な態度ゆえであることが多かった。けれども、今の大学ではそもそもポストモダンってなに?という学生が多くてびっくりする。

 これは、大学の偏差値の問題とはまったく関係ない。むしろ今通っている大学の方が、予備校業界の分類によれば大学受験の難関にあたるらしい。実際、外国語だってこっちの大学の学生たちの方がよくできる。それは大学内の風土の問題なのだ。

 自分が学部生の頃は、よく学科の大学院生に飲みに連れて行ってもらった。飲みに行くときは助教の先生とかが一緒のこともあって、みんなで三次会(朝)まで文学とか映画とか哲学のことを話した。自分は居酒屋で《教育された》という感覚が大いにある。「いろんな学校があるんだよ、坊や! 何も教科書持って自転車にのってゆく、黒板のある建物だけが学校だって訳じゃないんだよ。感化院が学校だったり、酒場が教室だったりするんだよ」(寺山修司毛皮のマリー』)を地でいっていたのだ。そして、居酒屋での大学院生や助教トークというのは、だいたいは死んだ有名な学者の思い出話だとか、自分が入学する前に大学にいた有名な研究者の思い出話とかだった。そうした思い出話を毎週のように聞くことで、学問の歴史というものを学んでいったという感覚がある。一応、ポストモダン思想と言われるものだって、流行ったのは一昔前のことだから、そういう思い出話を通じて(自分を含めた)若い人たちは出会うことになるのだ。

 もちろん今の社会状態も原因にはあるのだが、今いる大学では学生と先生あるいは大学院生が一緒に飲みに行くということがめったにないのだという。そうした状況下にある大学では、学問の歴史性のようなものが余り意識されていない気がする。たとえば、フランス映画の研究・批評をするというときに、飯島正蓮實重彦山田宏一梅本洋一といったような名前に対する敬意だとか逆に敵意だとかそうした具体的な感情を抱くということがあまりない。別に今更そうした人たちの著作を読まなきゃいけないというわけではないのかもしれないけれど、そういう歴史性が欠如して、ただ事務作業のように研究をしていくのはすごく寂しい気がしなくもない。

 ところで、ポストモダンかぶれの学生たちはドゥルーズは読むがフーコーは読まない、ゴダールはよく見ているがトリュフォーはあまり見ないという傾向があるように思う。個人的には現代性があるのはどちらも後者のような気がしているから、もったいないようにも思えるのだが。きっと、フーコートリュフォーも物語っぽさが残っていて、ポストモダンの抽象性、かっこよさみたいなものが感じられないために人気がないのだろう。だが、こうした感覚を抱くのも、シニフィアンとばっかり戯れていないで、シニフィエもしっかり見ないとダメだ、と酒場で年長者たちにしっかりと《教育》されてしまったからなのだ。

 

3:アデュー・フィリピーヌ

 

【以下はのちに全編完成後同人誌に掲載予定(その際には消します)】

 

(承前)

 

 少し時系列を先走ってしまったが、こうして助監督助手や短編映画の撮影によって着々と映画界へと足を踏み入れたロジエは、当時『勝手にしやがれ』を撮影したばかりだったゴダール、そして『大人は判ってくれない』を撮影したばかりのトリュフォーと出会うことになる。ゴダールは既にロジエの『ブルージーンズ』を1958年のトゥール国際短編映画祭で見ており、「最もみずみずしく、子供っぽいほど純粋で、若々しくて感じのいい映画」という評価も文章として残している。こうしてロジエを評価するゴダールは自身の『勝手にしやがれ』のプロデューサーであったジョルジュ・ド・ボールガールに紹介し、長編撮影のきっかけをつくる。

 一方で、トリュフォーとは翌59年7月にラ・コロンブ・ドール〔ピカソシャガールたちにも愛用されたホテル・レストラン〕にて邂逅する。そこでトリュフォーもまた『ブルージーンズ』を気に入ったと述べてくれたこと、兵役に出発する前の一人ないし複数人の男の子の生活についての映画を撮影したいと思っていることをトリュフォーに伝えたことがロジエ自身によって語られている(『カイエ・デュ・シネマ』148号)。

 

 さて、ヌーヴェル・ヴァーグの代表作品のようにもあげられ、トリュフォーに「ヌーヴェル・ヴァーグの最も成功した作品の一つ」、「これまでに作られたフランス映画にまったく似てはいない」と絶賛された『アデュー・フィリピーヌ』は、同時録音で撮影されたことになっている。たしかに都市の撮影(ロケ撮影)とともに同時録音はヌーヴェル・ヴァーグの美学の一例としてあげられるために、この映画にヌーヴェル・ヴァーグの代表例という称号を与えるのは正しくも思えるが、実際に我々がこの映画を鑑賞する際に耳にする音声は実は同時録音の音声ではない。(そもそもゴダールロメールトリュフォーも初期作品はアフレコであるが。)

    ロジエが撮影の際に携帯用レコーダーで録音した音声は、実際に映画に使うには不十分なクオリティだったのだ。音と映像はずれ、不明瞭でよく聞き取れない台詞たちが録音された機械がロジエの手元には残された。結局、ロジエは『アデュー・フィリピーヌ』では後時録音を行った。だが、ロジエ自身のインタビューによれば、そもそも同時録音は行われなかったそうである〔詳細は遠山純生ヌーヴェル・ヴァーグの時代』〕。この点についてはどちらが正しいのかという検証は行わないし深入りもしないが、後時録音の困難さを証言する資料として、『カイエ・デュ・シネマ』148号(1963年10月号32~39頁)にはニコラ・ザンドによる「フィリピーヌ資料」が掲載されているので、見てみよう。この記事を見ると、いかに『アデュー・フィリピーヌ』の撮影および編集が困難を極めたかが明白になる。

 

 

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【↑実際に掲載された「フィリピーヌ資料」】

 

 

 まず「資料」によれば、映画は撮影から公開までに3年半という長い時間を要し、予算の二倍の制作費が投じられたという。こうした問題が生じた原因は、ロジエがテレビ業界での仕事経験はあったものの長編映画製作に関してはまったくの素人であったことに依る。実際、1960年8月7日にコルシカ島で始まった撮影だが、11月末の時点でロジエは既に2時間半分ものフィルムを使い切っていたのだ。これは、同時期のゴダール、シャブロルなどと比べてもあまりに長すぎるのだという。

 こうした2時間半のフィルム問題に更に先述の音響の問題が襲い掛かる。「資料」でのロジエの証言を見てみよう。

私は37000メートルのフィルム、つまり2時間半のフィルムに行きつきました。一つの選択をしなくてはなりません。さらに、台詞の少なくとも50%が聞き取れないということに気付きました。私にはレコーディング・エンジニアがいなかったので、携帯用テープレコーダーで録音をしなくてはなりませんでした。そして、〔録音後に確認してみると〕何にも聞き取ることができないのです。

 

テクストを取り戻すために、登場人物たちの唇の動きを読むのに5か月を費やしました。映画の全体が何らかの形式のせりふのもとに作られていたので、それを復元するのは不可欠でした。(33頁)

 

 さて、そもそもロジエは59年8月から10月頃には、この映画のタイトルを『最後のバカンス』として考えていたようである。そして、兵役と若い男女についてという内容は初めから抱いていたものの、同年11月には、軍隊が兵舎での撮影許可を与えるはずがないだろうという考えから一度シナリオを考え直すことにする。また、アルジェリア戦争についての内容を扱うことへの懸念もあったようだ。実際、のちに1996年にラジオ番組に出演した際には、「当時は検閲のためアルジェリアという言葉を発することもできなかったので、ほのめかしによって撮影した」ことを述べている。〔このラジオ対談は現在、France Cultureにて実際の放送を聞くことができる〕

 更には、翌60年2月の時点では、スタンリー・ドーネン〔『雨に唄えば』監督〕の『よろめき休暇』に影響を受け、『今宵、私を抱きしめて』という題でミュージカルコメディーをやりたいなどと言っている。初監督で舞い上がっていると考えると微笑ましくもあるものの、当初からロジエの脳内はゴチャゴチャで、まったくもって演出の統制などされていなかったのだ。

 

 こうしたロジエの未熟さに依る問題続きとなったせいで、ジョルジュ・ド・ボールガールは「資料」の中で次のようにロジエに対し非常に冷たい評価を下す。

 

もはやこの映画について話すことに私は興味がない。忘れ去ったことだから。[…]ロジエ氏を、私は好きでない。私が間違っていたのです。それだけです。

 

問題は多くの映画監督が映画監督の役目を果たしていないということです。どのように映画を撮るのか、組織するのかを知らなくてはならないし、テレビ番組と同じやり方では映画を撮ることは出来ないことを知らなくてはなりません。3, 4台のカメラで撮影するなんて、馬鹿げたことです。

映画では、考えなくてはいけないのです。(34頁)

 

ヌーヴェル・ヴァーグの人たちが間違っているのは、自分たちは映画を作る際に何でもできると信じていることです。実際にはそのうちの3つ4つしかできないというのに。

 

ロジエ氏は総括する頭脳を持っていないし、彼は自らの考えを結集させ、構成する能力がありません。(35頁)

 

 非難されつつも2時間半のフィルムを短縮するにあたって、61年の12月8日には、編集した各シーンをつなぐための映像がいくらか更に必要であることにロジエは気付く。だが、既に季節は冬であり、コルシカ島での撮影は困難である。結局、8日間の追加撮影はコートダジュールで行われた。だから、ルノワールから継承されたヌーヴェル・ヴァーグの美学のはずのロケ撮影による土地・風景の記録は、『アデュー・フィリピーヌ』においては捏造されているのだ。

 そして、更に翌年の62年1月8日に『アデュー・フィリピーヌ』第二版はついに完成。63年9月25日についに公開される。

 

 以上のようにして完成・上映までに困難な道を辿った『アデュー・フィリピーヌ』は、興行収入としては成功とはいえないものになる。(そもそも1961年以後のヌーヴェル・ヴァーグ作品の興行収入は、『女は女である』をはじめとして失敗ばかりであった。)だが、『カイエ・デュ・シネマ』149号(1963年11月号)に掲載された点取り表〔これは現在の『カイエ』誌にも存在し、インターネット上で見ることができる〕では、ジャン・ルーシュ〔『人間ピラミッド』監督〕が「絶対見るべき」の評価星3つを、エリック・ロメールジャック・リヴェットが「傑作」評価の最高点星4つを付け、批評的名声を得ることになる。だがこれはいずれも『カイエ』内輪の評価であるということは忘れてはならない。

 実際、ロジエはこの先で更なる困難を抱えることになるのだから。

 

さっちゃんとセっちゃん

 

 友人から「さっちゃんのセクシーカレー」という曲を教えてもらった。たしかにこの曲は歌詞が小説の雰囲気と合っているかもしれない。今度は「さっちゃんのセクシーカレー」を何度も聞いてしまった。

 

 それでさっちゃんと言えばセッちゃんはどうなのさ…と思って、『セッちゃん』(大島智子)のことを少しだけ書きたいと思う。今更だけど『セッちゃん』だ。もう初読の時からずっと、未だに『セッちゃん』にとらわれている。情けない話だ。でも、どうしても気を抜くとすぐ『セッちゃん』の話をしてしまう。何がそんなにずっとモヤモヤしているかというと、ラストーー時系列的にであって、作品構造としては1ページ目だがーーで、セッちゃんが死ぬのをどう捉えたら良いのかが未だに分からないからだ。

 というのも、『セッちゃん』は明らかに『pink』(岡崎京子)のパロディなわけだが、『pink』で最後に死ぬのは男だ。僕は男が死ぬという展開に、この作品の良さを見出していたからだ。

 これについては『女の子を殺さないために』(川田宇一郎)という本に詳しいのだが、日本文学は伝統的に女の人が死ぬ話ばかり書いてきたということがある。アリストテレス言うところのカタルシスに女の人は利用され続けてきたのだ。泣かせるための要素=女の子。(この本の皮肉なところは、表紙が浅野いにおなのだが、『プンプン』だって『デデデデ』だって死ぬのは女の人だ)

 そうした文学の伝統対して、岡崎京子がどこまで意識的にやったのかは分からないけれど、「文学なんてダサい」という台詞を入れて、宮本百合子の『富士日記』を登場人物に読ませて、文学賞を主人公に取らせて学生小説家キャラにして……と、漫画の中で徹底的に文学を意識させながら、従来の文学とは違ったストーリー展開にするというのは、『pink』の文学へのアンサーであり、素晴らしいと思っていた。漫画が文学の新しい道を開いてくれたような気がしてた。だから、セッちゃんが死ぬと、どうしてもなんだか時代を巻き戻されたような気がしてしまってモヤモヤとし続けている。

 「恋人が空港で死ぬ話」と言えば、日本文学ではないけれど、ミシェル・ウェルベックの『プラットホーム』という小説もあって、これも死ぬのは女だ。これについてもモヤモヤして結局未だに結論が付かずにいる。いつか結論が出たらもっとしっかり書こうと思う。

 

 ところで、『セッちゃん』では特定の風景や身体が特権化されていないという点は重要だと思う。『セッちゃん』の舞台は明らかに高田馬場だけれども、写真がトレースされたりせずに細い線で漫画に落とし込まれている。一方で登場人物たちの身体も風景と同じ線で描かれているために特権化されていない。こうした描き方は岡崎京子からの影響だと思われるのだが、岡崎京子は「世界は意味もなければ不条理でもない。ただたんに、そこに《ある》だけである」(『新しい小説のために』)と記すロブ=グリエから影響を受けたのだと仮説を立てたい。というのも、岡崎京子のエッセイの一つに「快楽の斬新的横滑り」(『岡崎ジャーナル』収録)という題のものがあるからだ(無論、これはロブ=グリエの映画タイトル!)。

 キャラクターの身体や行動が特権化されておらず、かと言って、現実を指標する風景描写が特権化されているわけでもない『セッちゃん』は、ロブ=グリエを通って、岡崎京子中平卓馬ーー彼の『決闘写真論』もロブ=グリエの影響にあるーーの系譜にあるのだと断言してみたくもなるのだ。

 

 と、こんな話を以前研究室でしていたら、懐メロオタクの先輩が、「ってか、このユミちゃんってYOUだよね」「鰐って『わたしと鰐の一日』(FAIRCHILD)じゃん」だとか色々指摘し始めて盛り上がっていたのだけれど、帰ってネットで調べてみたらSPANK HAPPYのファンらしき方が既にブログにより詳細な検証記事を書いていた。恐るべしSPANK HAPPYオジサンたち…(僕は敬意を込めて、SPANK HAPPYファンの中年の方々を「オジサン」と呼ぶことにしているのだ)。

 

 

海へは行かない

 

 今年の夏はどこにも行かなかった。夏っぽいこともなにもしなかった。柴田聡子の「海へ行こうか」という曲は好きだけれど海にも行かなかった。数年前までは夏休みが来ると、夏休みにしかできないことをしようという謎の強迫観念が襲い掛かってきて、いろいろなことをしていた。

 

 例えば高校一年生の時、人生初めてのアルバイトを仲の良かった男3人でした。その3人で割り勘で青春18きっぷを買って、ホテルの予約をして(3人だから一人は簡易ベッドだった)大阪まで行った。大阪に目的地を決めたのも、お金をケチってダブルベッド+簡易ベッドの部屋に泊まったのもこの旅が「童貞脱出ツアー」と名づけられていたからだ。年齢を偽って飛田新地に行き、そこで童貞を脱出するのがこの旅の目的だった。ひどい話だ、本当に。

 結局、飛田新地に着いてみると始発の鈍行で大阪まで来た身体は寝不足で節々は痛く、とてもじゃないけれど性的に機能しそうにもなかった。一刻も早くホテルで寝たかった。だから、僕らは何かと理由をつけて(実際はビビってたのだが)童貞を失わなかった。一人を除いて。残された二人は天王寺動物園の象を見て時間を潰した。そいつはすっきりした顔で「最高だったよ」と言って帰ってきた。15分のコースで一万円くらい払ったと言っていた。

 使うはずだったお金が手元に残った僕ら二人は、コンビニでお酒を買って、ホテルに帰ってから彼の童貞喪失を祝って酒盛りをした。コンビニでお酒を買うのが精いっぱいの当時の僕らにとってのワルだった。セックスなんて(彼だって実際には手でイカされただけらしいけれど)遠い遠いところにあるのだと思っていた。

 その後この三人で大学も学部も同じ所へ進学した。去年、童貞を捧げた彼が児童ポルノを所持していただとかなんだとかで警察に捕まったらしい。詳しいところは僕も知らず、結局それにて三人の関係は消失した。

 

 学部生の時はリュック一つで東南アジアに行ったりもしたのだけれど、一番覚えているのはレンタカーを借りて枯木灘海岸(和歌山県)まで行った時のことだ。3日くらいかけてゆっくりと途中途中で車中泊をしながら和歌山県まで行った。枯木灘を目指したのは中上健次の『枯木灘』を読んであの土の湿り気や香りを漂わせてくる文体に圧倒されたからだ。

 実際に行ってみると、小説の舞台となっている新宮市枯木灘は車でないと移動できないくらいには離れていることに気付かされた。小説のタイトルと舞台が差異を孕んでいることが身体的な感覚(移動にかかる時間や目に見えるまったく異なる風景)としてあらわれてきて驚嘆した。

 一方で海岸沿いを運転していると頻繁にダンプカーと遭遇した。赤信号の度にバックミラーで確認すると、いつも後ろにはダンプカーがいて、こっちへ突っ込んでこないか不安だった。ダンプカーの運転手がどんな人物だったのかはまったく覚えていない。きっと運転手と秋幸を重ね合わせ、現実など少しも見えていなかったから。

 

 今年の夏はどこにも行かなかったけれど、大森靖子の「みっくすじゅーちゅ」のMVを何度も見た。僕が大好きな小説、乗代雄介「生き方の問題」(『最高の任務』収録)に出てくる貴子というバツイチの女の人が、このMVに出演している黒宮れいのイメージだと恋人が言っていたからだ。その指摘は的確だなと思う。

 小説は、(技巧的な特徴こそが肝なのだが、あえてそこには触れずにおくと)文学青年の主人公がジュニアアイドルをしていた程度には容姿端麗で現在は子持ちシングルの従姉貴子への愛を語るものだ。ジュニアアイドルだとか、田舎(栃木県足利市)という素材ももちろん「みっくすじゅーちゅ」を思わせるのだが、僕が何度も見ているMVの黒宮れいよりも現在の彼女よりも小説の貴子は歳上だ。年齢は決して近いとは言えないだろう。けれども、作者が饒舌に語る貴子の魅力が(ここではあえて引用しないから是非読んでもらいたい)黒宮れいに合っている気がしなくもない。

 

 どこにも旅行をしなかった分、「生き方の問題」を何度も読み返した。小説家が影響を公言している山本直樹の漫画も何度も読んだ。恋人に指摘された「みっくすじゅーちゅ」を何度も聞いた。それだけでも旅行に勝る旅をした気がした。

 

『アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい』感想

  アンナ・カリーナという名前を知ったのは高校2年の夏、サブカルになりたいと思っていた頃にヴィレヴァンの本棚に並ぶ本たちを隅から隅まで物色していたときのことだ。96年生まれの自分はその人気絶頂期を知らない岡崎京子の漫画が並ぶ棚にまでとうとう到達し、日々岡崎京子の漫画を読み漁っていると、なにやら毎度同じような外国人の女優のイラストが登場することに気付かされる。登場人物が見ている映画に出てくるこの外国人女優のことは頭の片隅にあるものの、注意を向けるほどではないままに夏休みに突入した。

 夏休みも半分ほど終わった八月のある日、僕の友人の中で当時最もマセてたSくんが「映画見よーぜ」と言っていつも通り僕の部屋に来た。その時、彼がバッグから出してきたのが『気狂いピエロ』であり、ジャケットを見るや否やすぐさま岡崎京子の漫画のイラストを思い出す。そうして、僕らはJLGとアンナ・カリーナを知ることになる。とはいえ、モンタージュという言葉さえ知らない17歳なりたての僕らにはゴダールの凄さがロクに分かるはずもなく、「なんかすんげえ赤・白・青色だな」ぐらいしか言えなかったのも事実である。それでもとにかくサブカルになりたかったアホな男子高校生だった僕はそれから何度も何度もアンナ・カリーナの出てくる映画を見て、ゴダールが引用し、彼女が読み上げるテクストの原典を一つでも多く読んで自分のものにしようと躍起になり、少しずつヌーヴェルヴァーグとその周辺の世界へと足を踏み入れてゆくことになる。(その後、「サブカルになりたい」という願望がどれほどバカバカしいことなのか、そもそもサブカルとは何なのかという批判的反省へと至るのだが)

 そういうわけで、『スター誕生』を幾度も見てスターになることを夢見ていたアンナ・カリーナは、(少なくとも僕にとっては)「サブカルチャー」へと導いてくれる「スター」だったわけである。だが、「スター」という言葉を軽々しく使うのもどうかと思うから、ここではアンドレ・マルローの定義に則って彼女を「スター」と言わせてもらおう。

スターとは単に映画に出る女優という意味ではまったくない。ドラマの才能など最小限でいい、ともかくその顔がある集団的本能を表し、象徴し、具現する人物がスターなのだ。(「映画心理学の素描」)

 

 そうしたフランスのスターが亡くなり、日本で今回追悼上映されることになった『アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい』は、もし彼女を主演にして自らが映画を撮るとしたら…という夢想を抱いたことのある者の誰しもがおそらく一度は考えるであろうシーンから幕を開ける。すなわち、『裁かるゝジャンヌ』を見て涙を流すナナを見つめるアンナ・カリーナを撮るということだ。だが、映画がこうした映像で始まるのは必然である。というのも、この映画の監督をしたデニス・ベリーはアンナの配偶者であるが、明らかにヌーヴェルヴァーグのオタクなのだから。(アンナ・カリーナの前の妻がジェーン・バーキンだなんて……なんというヌーヴェルヴァーグのミューズ狩り男であることか)

 映画の前半は彼女の生い立ちを順に説明し、ゴダールと出会い、ゲンズブールやドライヤーと出会い、ゴダールと別れるまでの様子が様々な映画やインタビューの映像のコラージュによって回顧されるが、これらはどれもヌーヴェルヴァーグを愛する者たちにとっては目を閉じればすぐに頭の中で上映できるようなシーンの数々であり特に目新しいものはない。唯一珍しいものはと言えばベルイマンによる舞台『リハーサルの後で』に出演する彼女の映像ぐらいであろうか。

 そしてどの引用される映像でもアンナ・カリーナアンナ・カリーナのままである。つまりどの役をやろうとも同じなのだ。しかし、これこそが彼女のスター性であったはずだ。ジル・ドゥルーズは言っている。

新しいタイプの映画には新しいタイプの人物が必要である。〔…〕アマチュアの俳優たちだけでなく、プロの非俳優、あるいはむしろ「俳優―媒体」とでも呼べる存在が。(『シネマ2』)

 彼女はまさにドゥルーズのいう「プロの非俳優」であった。スターでありながらもどこか親近感を湧かせるような危うさと素人っぽさを醸し出すプロだった。『気狂いピエロ』のぬいぐるみ、『アルファヴィル』の首元の閉まったワンピース、ふわふわのファー、どれも彼女が纏うと自らのスター性に「抜けてる感」をつけ足してくる(つまり人工的にアウトじゃないくらいに少々ロリくさい)。だからこそ、映画の中でも言われるように、彼女のファッションを真似た日本の女の子たちが大量にいた。

 

 だが、そうした「プロの非俳優」としてでは、ゴダールゲンズブールの音の出る人形のままでは、彼女は終わらない。彼女は彼らと離れたのち、自らが作家となり、映画監督となり、世界でコンサートを開く歌手となる。映画の後半はこれまでは言及されることの少なかった彼女のそうした側面を映していくが、これこそがこの映画の大義である。つまり、われわれがバカの一つ覚えのごとく脳内に形成してしまう、ゴダールアンナ・カリーナヌーヴェルヴァーグの三角形を打ち壊し、まさに「自分の人生を生きる〔Vivre sa vie〕」彼女の姿を改めて認識させるのだ。

 もっとも本作に限らず『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』('10)でも同様の試みは為されている。この映画では、ドゥルーズがまさに上記の引用の例としていたジャン=ピエール・レオトリュフォーゴダールから離れ、自らの力で生きてゆく姿が存分に描かれている。

 同様の試みをもったドキュメンタリーは今後も出現するだろう。そしてその度に、私たちのヌーヴェルヴァーグとその周囲をめぐる認識はヌーヴェルなものへと刷新される。まずはアンナ・カリーナに私たちの中で「自らの人生を生きて」もらうために、『アンナ・カリーナ きみはおぼえているかい』を見るべきだ。