映画狂人にはなれない

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自意識の墓場

シャブロル『肉屋』感想:〈神話〉とサスペンス

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 ロラン・バルトの批評集『神話作用』のフランスの文庫版の表紙は青色のシトロエンの写真が使われている。というのも、彼はその本の中で、「新しいシトロエン」という題でシトロエンDSの分析を行っているからだ。

 ブルジョワジーたちの欲望が結晶化したDSのフォルムの分析を通じてロラン・バルトが目指したのは、現代社会の根底にあるイデオロギーを暴き、社会構造を露わにさせることであった。

  風俗分析を通じて、社会の構造を提示してみせたという点では、社会のさまざまな部分を小説という形式で書き尽くすことを目指した小説家のバルザックも同様である。

 批評ではロラン・バルトが、小説ではバルザックが、これらの手法を用いた分析を行ったのだとしたら映画では誰が相当するだろうか。――クロード・シャブロルである。

 

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 クロード・シャブロルの映画ではいつでも格差の問題が取り上げられる。『いとこ同志』における都会と田舎。『沈黙の女』におけるブルジョワと労働者。一見すると高級なサスペンスに見える映画の物語内に、格差の提示を盛り込むことを彼は忘れない。

 サスペンス色がとりわけ強い『肉屋』においても同様である。軍隊上がりの肉屋の息子のポポールと小学校の校長を務めるエレーヌの格差はまさにバルトの取り上げたシトロエンをめぐる会話において表れる。

 ちなみに、シトロエンをめぐるフランス人の意識というものは、車に興味のある者でなければ知らないかもしれない。1952年に南仏でテスト中のニューモデルがモータージャーナル誌に発見されてしまってから1956年に発表されるまでの間、当時のメディアは前評判で大盛り上がりだったという。当時のフランス人は、発売まで四年間も心待ちにしていたのだ。(日本でいうところのバブル期のソアラとでも言ったら良いだろうか?)

 だがもちろんこの車は誰もが手に入れられるわけではない。もちろんそれ相応の稼ぎが必要である。エレーヌはシトロエンを持っているが、ポポールは持っていないという物語上の設定は、二人の相反する社会的地位を指し示す。

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  家業の肉屋を継ぐ前に軍で青春を失い、周囲で仲間の死などといった過酷な経験を経たことを吐露するポポールが、それでもなお社会の上層とは言えない位置に留まって、結果少女連続殺人を犯すことになるというのは、手放しに非難できず、考えさせられる。(決して犯罪を肯定しているわけではない)

 『沈黙の女』の中で「わからない」という言葉を繰り返しているのが印象的な、雇い主一家を皆殺しにしたディスレクシアの家政婦ソフィーにおいても同様であるが、シャブロルの描く殺人鬼は簡単に「サイコパス」という言葉では片付けられないものだ。

 ポポールは少女だけを狙った連続殺人を犯したが、決してそれは性衝動によるものではなかった。被害者の身体にはそうした痕跡は何一つ残っていないことが物語中でも明かされる。彼を殺人に駆り立てた原因は明かされることはないが、軍隊として派遣された戦地での体験のトラウマがそれに当たるとしても、真の原因というものは彼を戦争に派遣させた社会構造なのではないか。

  シャブロルはこうした物語を描くことに自覚的であり、その源泉がまさにバルザックだった。だから、『いとこ同志』の母子家庭で育った田舎者のシャルルに愛読させるのはバルザックであり、本作におけるヒロインの名はエレーヌであり(『三十路女』『逢引』)、彼女が授業でディクテ(ディクテーション)に用いた教材はバルザックなのだ。

 

 本当に面白いサスペンス映画というものは、蓋を開けてみるといかにも単純な題材が元になっていたり、元の題材がサスペンスというには無理なほどに矛盾だらけであることがしばしばある。ヒッチコックの『バルカン超特急』などはいい例だ。もしあの映画内で起こる出来事が新聞記事のように見せられたとしてもそこまで面白くはないだろう。『肉屋』においても、冒頭からカメラを向けられた一人の男が殺人鬼であり、彼と恋仲のようになる女がいたというだけの三面記事的な話である。

 だがこうした話に緩急をつけて提示して、サスペンスへと仕立てるのが良き映画監督である。そして事件の「見せ方」が上手なシャブロルはまた、社会構造の「見せ方」も上手なのだ。

 

 

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シャブロルの別の作品の感想↓

baltanien.hatenablog.jp