映画狂人にはなれない

映画狂人にはなれない

自意識の墓場

映画狂人なれない日記(8.22-8.27)

・8月22日:『泳ぐひと』

 どこで知ったのかまったく覚えていないけれど、ずっと見ようと思っていた『泳ぐひと』をやっと観た。仕事も家族も何もかも失った禿げかけの中年男性が、自宅までプールを泳ぎ継いで帰るという一見幻想的な物語だが、《大人になれないアメリカ男》を描くというのは『グレート・ギャツビー』と似ている。(このテーマは都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』に詳しい。)ギャツビーは学歴の無さを隠そうとしながら(ハーバードとオクスフォードの地理も分かっていない)、当時兵役でバラバラになった元恋人に固執する。一方でこの映画も、過去のセフレに相手にされなくなってからよりを戻そうとしたり、主人公の男だけは《大人になれないまま》なのだ。

 でも、彼らの《大人になれなさ》の根底にはアメリカの様々な社会システムがあるのは間違いない。そういう意味では、今現代を生きる自分たちも数十年後に各々、自粛や社会的距離etc.で失った青春を取り戻すとか言って、映画の男同様に、客観的に見るとアホらしいことをするのかもしれない。

 恋人がジョン・チーヴァ―の原作を持っていたので読んだが、原作だと特にそのテーマが露わ。

 

 

・8月23日:『たぶん悪魔が

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   立川のIKEAに行く。『(500)日のサマー』みたいなデートを期待するが、大黒埠頭のコンテナ並みに積み上げられた家具の在庫を前に恐れ慄く。自分が何が欲しいのかもう分からなくなる。これが消費社会の神話と構造や……。ボードリヤールは「恍惚」って言葉を使ってたけど、むしろ「目眩」。

  『(500)日のサマー』『ルビー・スパークス』『ジョゼ』辺りに狂わされた2010年代の若者は多いと勝手に断言している。自分と同世代でこの3つを当時に見ている人間は信用できる。

   夕食時に、二人ともレモネードを注文する。もちろんこれは『泳ぐひと』の影響。

 帰宅後、恋人に「ブレッソンひさびさに見ようよ」と言ったら、「悪魔がぼくを…悪魔がぼくを…」とずっと歌ってるので『たぶん悪魔が』を観る。いわゆる68年ものでここまでの閉塞感を出してる映画って他にないんじゃないかと思う。エネルギッシュな五月革命とは対極にある。自分は革命とか文学とかを所詮安直に信じてしまう人間だから、「ああ…やっぱ行き着く先は自殺しか無いのか…」と絶望でちょっと落ち込む。

 前にバイト先で先輩に「最近の日本映画の俳優ってボソボソ喋ってて何言ってるかわからなくてキモいんだよな」ってなんかめっちゃ演説されたけれど、そういう人はブレッソンを見たら(見るわけないけど)どう思うのだろう。ブレッソンなんてほぼずっとボソボソ喋りじゃないか。というか、俺に文句言ってくるお前もボソボソ喋ってんだから、ボソボソの方がリアルなんだよ。と、その時グッと堪えた反論をここで供養。

 後期ブレッソンってボソボソ喋りだし、手とか身体のパーツばっかり映ってて何やってるのか分かりづらいし、しかも会話はナンセンスだし…と、観ても分からなくはないけどよくわかったとは言えない状態にさせられるけれど、これが「異化」なのだろう。

 カルロ・ギンズブルグ『ピノッキオの眼』の異化作用についての章で、プルーストの語り手が『悪霊』の語り手の延長上にある(話の意味を完全に理解できない、生気を欠いた人物)だと指摘されているのだけれど、同様の手法がブレッソンにも指摘できると思う。

 

・8月24日:『喜劇 特出しヒモ天国』、『哀しみのベラドンナ

 予定がなかったので朝から『喜劇 特出しヒモ天国』を観た。先日、森崎東の追悼番組をNHKでやってて、ああこの映画見てないな…と思い出したため。自分はロマンポルノの良き鑑賞者ではないけど、やっぱり権力と戦うポルノ映画は元気が出る。どんなに警察に追い回されようと決してストリップ劇場をやめない登場人物たちは権力と戦っている。(映像とプロパガンダは密接な関係にあるから)映画は権力と結託しては絶対にいけないと思っているけれど、芹明香が護送車の金網越しにこちらを睨み付けるラストショットに権力に屈しないこの映画の全てが詰まっている。『(秘)色情めす市場』を初めて見たとき以来、芹明香のクッソ悪い目つきには惹かれている。

 夜は『哀しみのベラドンナ』を観る。橋本治が『奇子』の解説で手塚のエロさは分からない人には分からないみたいなこと言ってたけれど、これは誰にでも分かるエロ。あらゆるものがオチンチンだから。あらゆるものがオチンチンになるサイケデリックなシーンが『ダンボ』のピンクの象を超えてる。恋人は『三人の騎士』みたいだと言う。

 ドゥルーズの『シネマ』ってめっちゃ雑に要約するなら(あらゆる方面から怒られそうだが)、古典映画は俳優の感情を説明するような身振りを見せるものだったけど(「運動イメージ」)、現代映画はその感情と身振りの繋がりが切断されているよね。で、身振りの代わりに顔とか映すわけ(「感覚イメージ」)って話だと思い込んでいるのだけれど、『ベラドンナ』ってまさに後者の映画じゃないの?って思う。宇野亜喜良テイストのほぼ静止画、顔ドアップの紙芝居映画だし。ベルイマンより手塚の方が例として良くない? って思った矢先、あ、ドゥルーズが《「読む」イメージ》を後者に充てていたことを思い出し、『ベラドンナ』は《「読む」イメージ》ではないな…と自己解決。

 

 

・8月25日:『草迷宮

 成人する前は寺山修司とかやっぱり好きで、この『草迷宮』とかいくつかの絶版になった映画を観るために今は無き神保町のジャニス(マニアックなサブカルDVD・CD専門のレンタル店)の会員になったくらいだし、青森の寺山修司記念館も恐山も行ったし、司修が装丁した全歌集も持っているしというほどだったのだけれど、なんかクサさについていけなくなって最近はフェードアウト。でも、恋人が『草迷宮』のDVDを手に入れてきてくれたから久々の寺山修司。(ちなみにこれの助監督は相米慎二。あと今まで知らなかったんだけれど下敷きって泉鏡花の同名小説だけじゃなくて『瓜の涙』もなんだね)

   やっぱり寺山修司はちょっと分かり易すぎる気がする。一応、夢パートと現実パートが同じ次元に配置されているのだけれど、どうしても精神分析的に(パパ-ママ-僕の三角形的に)ストーリーを読み取ってしまう。そうではない見方が見つけられれば良いのだが、今の自分にはできない。

 ちなみにこの映画YouTubeにアップロードされてるみたいでブチギレ。自分は嫌な奴だから、自分がかつて手に入れるのに苦労した映画が簡単に無料で観れるようにネットに違法アップロードされていたりするとブチギレる。

 

 

・8月26日:『ベルヴィル・ランデブー』、『ジャンヌ・ダルク裁判

 自分はレベル上げとかそういう画面上の単純作業が超苦手だからゲームはこれまでほとんどしてこなかったんだけれど、レイトン教授シリーズだけは昔よくやってた。で、本当はスマホアプリ版も購入したいくらいなんだけれど、スマホの中途半端なサイズの画面が苦手だから、買ってもどうせやらないだろうし、代わりに『ベルヴィル・ランデブー』を観る。シルヴァン・ショメの絵柄ってレイトンっぽいなあと思っているから。3年前、フランスに2週間一人旅行に行ったときに借りた部屋がベルヴィルにあった。中華料理屋が多くて、洋食が苦手な自分にはすごい助けられた思い出。

 ブレッソン祭りとでもいうのか、ブレッソンを久々にまとめて見たくなっているから再び恋人の手に入れてくれた『ジャンヌ・ダルク裁判』も観た。数日前に考えていた断片化と異化作用の話を、冒頭の糾弾されるジャンヌ・ダルクが《真実の一部を述べます》と言うところに見い出す。映画も証言も、真実全体となることは出来ない。

 

 

・8月27日:『白い指の戯れ』、『家庭』

 明日はブレッソンの『スリ』を観よう!とか昨晩話していたのだけれど、「スリ」というキーワードに引っ張られて『白い指の戯れ』を見ることに。

 脚本が神代辰巳なんだけれど、神代作品って実は全然見ていない(『赫い髪の女』と『恋人たちは濡れた』くらい)。なんか神代の描く世界ってちょっと男にとって都合良すぎない?とかどうしても思ってしまうのだ…。

 『白い指の戯れ』もヌーヴェルヴァーグ並みの都内ロケ撮影だから70年代の新宿が見れるというのは良いんだけれど肝心のストーリーがなあ…と。いくら初めての男だったからって、よく分からないスリやってる男の罪を代わりに被ろうとするか? なんか、処女に異様な重きを置いたり、イって《あたし女でよかった》だとか、神代ワールドって寒々しくない?とか言ったらシネマヴェーラとかにいるシネフィルたちにぶっ殺されるんだろうな…。

 で、もう一本はトリュフォー『家庭』。冒頭からゴダールへのオマージュを感じさせるし、《ジャン・ユスターシュにドワネルに男の子が生まれたと伝えてください!》って台詞、テレビから流れる『去年マリエンバートで』の台詞、《絞殺魔》って言葉が何度も繰り返されるし、ジョン・フォードの垂れ幕映すし…とアアー!って言いたくなるシーンがめっちゃ多いんだけれど、結局自分もこういうのに喜んでいるうちはシネフィルなのかと落胆。

 これは「シネフィル」の定義にも依るんだけれど、個人的にはシネフィルと男根主義って言うのは結構根強い関係があると思っていて、『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』の中では《シネフィルはアテネフランセの最前列に座ってとにかく光を浴びることを良しとする人》と《反知性主義》に結びつけられているんだけれど、個人的にはむしろ反知性主義とは反対な、映画の周辺情報も集めてそれを知っていてこそ一流とするタイプだと思っている。で、そういう奴の悪いところは、知識でマンスプレイニングする。しまいには《あなたに映画を愛しているとは言わせない》とか言い出すんでしょ(この文言は教育的なものであってマウントを取るためではないはずなのに)。そういうわけで、自分はシネフィルになりたくないと日々思ってしまうのだ。

 というかね、シネフィルはマウント取るんじゃなくてアジらなきゃダメ。でも、文学男子、哲学男子、映画オタクはダサい・モサいからアジれない。君たち運動神経もリズム感もないから踊れないでしょ? アジるにはリズムが必要だから、カッコいいアジってくるシネフィルはみんな音感があるでしょう? シネフィルは知識じゃなくて、リズムとダンスを身につけろ!!

 

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